昭和61年8月
昭和61年8月1日にフィリピンのルソン島の東で発生した台風10号は、進路を北東に取り、4日朝には本州の南海上に達した。その後、伊豆半島石廊崎の南海上で温帯低気圧に変わったものの、台風時と変わらぬ強い雨と風を伴ってさらに北東に進み、房総半島を縦断して鹿島灘に抜け、6日朝には宮城県沖に達し次第に東北地方から遠ざかっていった。
福島県内に4日午前6時頃から降り始めた雨は午後4時頃から本降りとなり、午後6時には県内全域に大雨洪水警報、強風波浪注意報が発令された。降雨量は、浜通り地方が一番多く、次いで中通り地方、会津地方の順になっており、もっとも多いところでは500mmを記録した。それに伴い阿武隈川の水位は上昇の一途をたどり、堤内堤外の区別が判然としないほど一面濁流に覆われた。さらに、谷田川や逢瀬川では堤防が決壊、沿岸の住宅、田畑、道路などに深い爪痕を残した。この記録的な豪雨による被害総額は、約867億3,400万円という驚異的な数字を示した。
出典)「阿武隈川 洪水記録写真集」、建設省福島工事事務所(現 国土交通省福島河川国道事務所)、平成12年3月、116ページ