昭和53年6月
昭和53年6月25日から27日にかけて梅雨前線が東北地方南部から北陸を通り日本海にのびて停滞し、その上を低気圧が次々に通り前線活動が活発化したため、阿武隈川上流の福島県内、特に奥羽山系に大量の降雨をもたらした。28日には前線が南下し、雨もおさまったが、各地の総雨量は、会津地方の稲荷峠で436mmを記録したほか、阿武隈川流域内では、多いところで290mmを記録し、少ないところでも100mmを越す大雨となった。
このため河川は増水し、丸森地点では28日午前10時がピークで警戒水位19.50mを44cmオーバーした。また、岩沼では28日の午後2時に警戒水位を5cm上回り、その後減水し、29日にはともに指定水位下となった。
この梅雨の集中豪雨は会津地方を中心に大きな被害をもたらし、浸水、冠水、がけ崩れなどが各地で続出、国鉄各線はマヒし、国道、県道も各所で寸断された。
豪雨の爪跡は深く、死者2名、被災29世帯102人に及び、公共施設を中心とする被害額は約47億8,400万余円にものぼった。
出典)「阿武隈川 洪水記録写真集」、建設省福島工事事務所(現 国土交通省福島河川国道事務所)、平成12年3月、102ページ